祖母の危篤が私の目を覚ましてくれた!?おばあちゃん、ありがとう。私強く生きるね。
ニートの私でも就職できた方法とは?
私は現在年齢30歳、職業は主婦で、24歳の頃に1年ほど無職になりました。
原因不明の先輩社員とのキョリ
学生時代は特に不登校になることや、人間関係が大きくこじれることはなく、比較的穏やかな人生を送ってきていた私でした。しかし、新卒で就職した先に大きな試練が待ち受けていました。
入社してすぐ、早く仕事を覚えて周りに溶け込もうと懸命に働いていました。わからなければすぐ先輩に聞き、ミスをしたらお詫びと共に先輩からアドバイスをもらうようにもしていました。
積極的に周囲と関わろうとしていた私でしたが、それがかえって先輩達の気に障ったのか、日に日に冷たくあしらわれるようになりました。何を聞いても「いいんじゃないですか?」と返され、段々と距離を感じるようになりました。
職場で倒れても無視。私が悪いんでしょうか。。それって正常な職場?
ある日そのストレスからか、私は職場で倒れてしまいました。しかし誰も体を起こしてくれる事はなく、自力で起きられるまでそのまま見て見ぬふりをされていたことを、意識を取り戻した時に実感し、その後仕事に行けなくなりました。
人間不信に陥り、外に出るのも怖くなった私はずっと実家の自分の部屋にいました。両親は私の為にその会社とコンタクトを取って何かを伝え、私にも慰めの言葉をかけてくれましたが、その時の私はただただ放っておいてほしいという気持ちだけでした。
果たして自分が撒いた種だったのか、何が気に入らなくてあのような対応をされたのか、考えても考えてもわからず、答えの出ないもどかしさと、それらの出来事に屈してしまった自分への不甲斐なさ、先輩達を恨み続ける負の感情が堂々巡りし、疲れていました。
祖母の目に、鼓動が激しく。おばあちゃんの魔法の力
そんな生活から半年が過ぎた頃、私の祖母が危篤に。祖母に会うため、久しぶりに外に出ました。祖母の病室で私は、チューブが繋がれた人や、自分では起き上がれない人、ずっとただ寝ている人たちを目にしました。
祖母もその一人でしたが、瞳を見ると、生きているという力強い目をしていました。その目を見て私はハッとしました。「私は何をどうしたってこれからも生きていかねばならないんだ」と感じました。
人間不信になっても、嫌なことがあって自己嫌悪に陥っても、それらを乗り越えていくことが生きていくことなのかもしれないと、ただ漠然とですが感覚的に感じました。
帰宅の後、私はドキドキしながら求人を探し始めました。探しては怖くなり鼓動が激しくなって止め、でもまた探して繰り返しながら、自分が無理なく出来そうな、周5で5時間勤務のところを選びました。
合わない人もいる。それ以上に支えてくれる人を大切に
その後その職場では、人員が多かったためやはり苦手意識を感じてしまう人はいましたが、自分を支えてくれる人も身近にいるということを見失わないように心がけ、仕事を着実にこなしていくことで信頼を得ようと考えるようになりました。
周りには人がいればいるだけ、色んな人がいます。気の合う人もいればどうやっても相容れない人もいるかもしれません。しかしそのことにとらわれず、まず自分のキャパシティを知り、相手との距離間を大事にしていくことが大切なのかなと思います。
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