31歳ニート体験談|モラハラ・パワハラに負けない世界一前向きなニート
ニートの私でも就職できた方法とは?
誰にでも自分の将来は明るいにちがいない。一度はそういうイメージを持つことがあるのではないでしょうか。私も大学を卒業するまでは、将来の自分はスーツをシャキっと着こなし、颯爽と歩く姿を想像するのでした。今現在の私は教育業界にようやく馴染んできた31歳。そこに至るまでは過酷なこともありました。
「さぁ、やるぞ~!!」やる気満々で挑んだ新米教師に待ち受けていることとは!?
大学を卒業するとまず教員を目指し、講師として高校に勤め始めました。なんとこれがブラック生活の始まり…。勤め始めるも、右も左もわからない私は、目の前の生徒を前にてんてこまい。おまけに学校は地域のおちこぼれ生徒を集めた学校で、警察からの呼び出しがかかることも。
それにくわえて先輩教師は優しく教えてくれるどころかパワハラ・モラハラまがいの発言をする人もたくさんおり、助けを求めるなどもってのほか。助けを求めようものなら、「そんなもん自分で考えろ!」と怒鳴るばかり。そんな毎日を送り、休みもまともにない生活を送る中で、ついに体調を壊し、1年でその職場を辞めました。
さすがに体調を崩したこともあり、少し経ってから就職活動をすればよいだろうと考えていました。仕事を辞めて2か月が経ち、ようやく体調が治ってきたころに、「もう今度は別の仕事を始めよう」と決意をするのでした。
もうやめて!次々に降りかかってくる災難を乗り越えた先に。
そんな矢先、忘れていたころにポストを見ると住民税の請求書が!考えると貯金もほとんど使ってしまっていたことを忘れ、すぐには払えそうもない住民税の請求書を見ながら、親や兄弟に頼みこみ、なんとか払えることに。
安心したのもつかの間、仕事を探さないといけない私は、何社も面接を受け続けたものの、なぜそんなにも早く仕事を辞めて別の職種に就こうと思うのかという面接官の質問に答えることができず、内々定状態。
頑張っても、頑張っても。。やっと掴めた営業の仕事の実体とは?
なんとかやっとの思いでつかんだのはwebサービスを提供する会社の営業でした。最初の印象は良かったものの、やはり営業はノルマがありキツイもの。
来る日も来る日もテレアポのために電話をかける毎日。何か月がすぎてもなかなかアポイントも契約もとれない私に向かって、上司が「おまえはこの会社のコストだろ!」と怒鳴る始末。
ようやくのことでつかんだ仕事であきらめてはいけないと思い、頑張る中でようやくポツポツと契約は取れたものの、あまり冴えない成績の私は、ついに辞めることを決心。また振り出しに戻ることに。
辛いだけの経験を、一生モノのスキルに変える方法とは?
今振り返ると、パワハラ・モラハラに耐えただけのような毎日にも日々学習することはあったらしく、難しい相手に対して交渉する力・ブラックな環境でも売り上げを作る力、普通に言っただけでは全然会話も成立しないような学校現場での教える技術。それらが知らず知らず身についており、毎日思い起こせばもはや笑うしかないような日々でした。
今ではネタになっているようなことも多く、当時もなんだかんだ笑えることも多く、それなりに楽しんでやってこれたことが今につながっているのだと思います。
ニートから正社員になる就職成功率が最も高い方法とは?